今でこそ、日本のサッカーのレベルは、
アジアでトップレベルであるが、
わずか十数年前には、アジアの中でも
ぱっとしないレベルであった!
1992年、翌年のJリーグ発足を控え、
川渕三郎氏は、1992年から始まる1994年の
アメリカワールドカップ予選に、日本スポーツ界で初めて
外人監督を招へいしたのであった。
理由は、日本サッカー界の現状、
誰が日本代表監督になっても同じであるし、
だからといって、外人監督を招へいしたからといって、
日本がワールドカップに出場できるはずも無いが、
翌年の1993年から始まるささやかではあるが、
なんとかJリーグの成功を祝って、招へいしたのであった!
招へいされたのは、ハンス・オフトというオランダ人であった!
オフトは、以前、日本リーグ時代のマツダやヤマハで
コーチとして、指導してきた経験があった。
来日時の記者会見で、オフトは、力強く宣言した!
「日本チームは、ワールドカップに出場できる力がある!
必ず、いいチームが出来ます!」と。
当時、ファンはもちろんのこと、関係者の誰一人として、
日本が、世界のあのヒノキ舞台である「ワールドカップ」に
出場することは、夢のまた夢物語と考えていたので、
オフトのこの発言に、多くの失笑が起こった。
しかし、オフトには、確信があった!
なぜなら、当時のアジアのサッカーでは、
「コンパクトなサッカー」が、どの国におきても
まったく行われていなかったからである!
さらに、オフトが、確信を持っていたのは、
アメリカワールドカップ予選まで、時間がないが、
短期間で日本人が、この「コンパクトなサッカー」の
概念を理解し、実践できるはずだ!という確信であった。
成果は、すぐに現れた。
中国で行われた第2回のダイナスティーカップで、
海外の大会で初めて優勝!
さらに、同年、広島で行われたアジアカップで
初めてアジアの頂点に輝いた!
また、その間に行われた、ワールドカップ1次予選の
突破である!
オフトのいう見事な「コンパクトなサッカー」を展開しての
結果であった。
アジア各国は、さぞ、驚いた事だろう。
いままで、ぱっとしないサッカーを行っていたあの日本が、
ブラジル代表を思わせるファンタステックで
革新的なサッカーを行っているのだから!
それまでの、日本のサッカーのイメージはと言うと、
「偶然を頼りにサッカーを行っている」ようであったのである。
もちろん、日本中のサッカーファンも
そのコンパクトなサッカーに、狂喜乱舞したのであった。
マスコミは、驚き、オフトの采配を、
「オフト・マジック」ともてはやした。
しかしオフトは、次のように反論した。
「マジックではない!ロジックである!」と。
1993年、カタールのドーハで、最終予選が行われた。
戦前、日本代表は、大会中、最も魅力あるチームとされた。
しかし、代表チームは、コンディションが悪く、
最後の最後で、ワールドカップ出場を逃してしまうのであった!
みなさんのよくご存知の「ドーハの悲劇」である。
しかし、オフトに導かれた日本代表は、
短期間で、アジアのトップのレベルに到達したのであった!
現在のアジアに於ける日本の位置づけは、
この時の一撃によるものである。
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